嘘のような本当の話 本能寺の変 信長が殺された理由

 

嘘のような本当の話 本能寺の変 信長が殺された理由

こんにちは、宮崎の住宅診断士 河野誠です。

最初に言っておかければならない事があります。

南北朝時代に足利尊氏が自分たちに都合の良い北朝系の天皇を擁立します。

でもこれは天皇の血筋とは関係がない、言えば偽者の天皇でした。

 

正当な天皇は南朝

正当な南朝の後醍醐天皇の子孫は毛利家に匿われていました。

だから南朝復興のために毛利を攻めていたのです。

明治天皇が「信長程の忠義の者はいなかった。」とお言葉を残され、

京都の船岡山に健勲神社を建てて織田信長をお祀りしました。

織田信長は偽者の北朝系の天皇を滅ぼし、正当な南朝系の天皇にもどす計画だったのです。

そのことが北朝の正親町天皇に知れることとなり、正親町天皇の命令で織田信長を殺すことになります。

偽者とはいえ当時の北朝天皇は絶大なる権力を持っています。

北朝系の最大の陰陽師であった明智光秀が計画をたて豊臣秀吉も徳川家康も毛利家も承知の上で、

計画は実行に移されました。

 

信長の首は健勲神社にある。

健勲神社の左側に小さな祠がありますが、ここに信長の首が埋まっています。

埋めたのは豊臣秀吉と言われています。

この記事の著者

m-kawano1265

河野 誠

河野住宅クリニック 代表

公認ホームインスペクター(住宅診断士)
2級建築士
宅地建物取引主任者
福祉住環境コーディネーター
住宅ローンアドバイザー
2級電磁波測定士

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